鳥取ループ・宮部とは何者なのか、また、なんのためにこんな違法行為を繰り返しているのか。

 

(1)同和地区所在地の暴露マニア

鳥取ループとはインターネットのブログのネームで、05年からこの名前を使っている。運営しているのは、鳥取県出身の宮部龍彦(37才)だ。彼は、ITのソフトの開発などを生業にしている、いわばパソコンのプロだ。もう一人は三品純(43才)で、岐阜県出身でフリーライターとして「正論」等に記事を出している。宮部と三品は、共同で示現社なる出版社を設立して「同和と在日」などの本を出版しているが、出版社とは名ばかりで実質二人だけの個人商店だ。
鳥取ループが何を目的にしているのはよく分からないが、少なくともこれまでの行動を見れば、同和地区の所在地を暴露することを自己目的にしている暴露マニア、裁判マニアと呼ぶことが出来るだろう。実際、鳥取ループはこれまでに5回にわたって行政を相手にした裁判を起こしている。07年に鳥取県を相手に裁判を起こしたのを手始めに、09年には滋賀県東近江市を訴え、10年には滋賀県を、12年には鳥取市と大阪法務局を相手に裁判を起こしている。鳥取県を相手にした訴訟では、鳥取県企業連受講者名簿の公開を請求し、滋賀県東近江市との裁判では同和地区の施設の公開を求め、滋賀県との裁判では滋賀県内の同和地区情報の公開を求めている。また、鳥取市との裁判では、同和地区固定資産税減免措置を行っている地域の公開を求め、大阪法務局と裁判では、大阪市内の同和地区の位置の開示を請求しているがいずれも鳥取ループ側が敗訴している。この間、09年には 大津地方法務局から「部落地名総鑑」圧縮ファイルの削除要請が出され、10年には大阪法務局から「大阪市内の同和地区一覧」の削除要請が出されている。
これらの訴訟の内容は割愛するが、ひつだけ滋賀県裁判における最高裁判決(15年)を紹介する。最高裁は、滋賀県内の同和地区の所在地一覧に直結する隣保館や教育集会所の開示を求めた鳥取ループに対して、「地区の居住者や出身者等に対する差別意識を増幅して種々の社会的な場面や事柄における差別行為を助長する恐れがある」とはっきり判決を言い渡している。当然の判決だ。
それにもかかわらず鳥取ループ・宮部は執拗に同和地区の暴露にこだわり、ついに今年「復刻版」の出版を計画するに及んだ。彼自身の語るところによれば、昨年東京の社会事業大学の図書館にあった「全国部落調査」を発見したというのだが、昭和11年に作成されたこのマル秘の報告書を手に入れた彼は、欣喜雀躍して「復刻版」の出版を企んだのである。

(2)「同和タブー」の打破

なんのために同和地区の情報公開を追い続けているのか。裁判所に提出した書面を見る限り、「同和タブー」と言われる、同和問題をタブー視するマスコミの態度を「打破」することが目的だと述べている。宮部は、「(解放同盟は)差別を口実に、同和問題に関する情報、議論、一切の表現を独占して、意のままにしようとしている。そのような行為こそ、重大な人権侵害である」といい、「人権に関わることについてメディアが口を閉ざす状況を打破することを(出版の)目的としている」と述べている。最近では、「『全国部落調査』がインターネットで拡散され、回収不能になることは、被告宮部が望むことである。これが『ふと湧いてでた”いたずら心”』などと思うのは,あまりにも甘い考えである」(8/3東京地裁準備書面)と明け透けに目的を語っている。

(3)背景にある解放同盟への反発

この背景に何があるのか。背景には、解放同盟への強い反発が存在している。宮部は「原告らは部落問題についての言論を意のままにしようとしている」「同和タブーが問題解決の多様な取り組みの障害である」(準備書面)などと繰り返し、部落解放同盟に対して「行政・司法の扱いは平等ではなく、むしろ同和に対してだけ異常な扱いをしている」(7/5第1回口頭弁論後の記者会見・配付資料)と解放同盟を批難する。
反発と言えば、こういう反発もある。解放同盟はあるときは「寝た子を起こすな」という考え方を克服しようと言いながら、別な場所では部落の所在地公開することは差別だという。解放同盟の「主張は一貫しておらず、場当たり的である。最大の問題は、そのような場当たり的な主張を、是が非でも他人に強制しようとすることである」。
しかしもちろん、「タブーの打破」とか、解放同盟への反発と復刻版の出版とはまったく次元の違う話だ。解放同盟に不満があるからといって同和地区の所在地一覧を出版・掲載してもいいということには絶対にならない。復刻版の出版は、解放同盟への批判でも何でもない。ただ同和地区を暴き、差別を助長・煽動する行為そのものだ。
もし解放同盟に不満があるというなら、論文でも何でも書けばいい。批判されることは決して嬉しいわけではないが、誰にも批判する権利はあるのだから批判するなと言わない。その限りで、批判の自由は保障されている。もちろん、われわれも反論するし、批判もする。しかし、だからといって同和地区の所在地を一覧表にして販売したり、インターネットに掲載していいわけはない。運動への批判と差別の煽動は次元が違うのだ。この点を宮部は意図的にすり替えている。