「全国部落調査」復刻版出版事件 陳述書

 

部落解放同盟東京都連合会国立支部長 宮瀧順子

 

 

1  私の経歴や被差別部落の現状について

私は、1959年5月、東京都の多摩地区にある被差別部落に生まれ、2005 年まで住んでいました。部落は20 戸ほどの小さな部落です。

本籍や住所などについては、今回の仮処分の相手方である宮部龍彦が、かつてインターネット上において「ネットの電話帳」などと称する電話番号検索ページを公開しており、そのことがプライパシー権侵害であるとして提訴された訴松で提出された訴訟資料をさらにホームページ上で公開した経過があることから(ちなみに、公開したことによって、宮部龍彦は京都地方裁判所から公開した情報の削除をせよという趣旨の仮処分決定がなされているのですが、その仮処分決定の決定書までもホームページで公開しています)。

部落は、その周囲を交通量の多い道路と崖などで固まれています。行政区としては国立市に属しますが、結果として国立市の隅に追いやられた位置になり、交通アクセスが極めて悪い状態です。

アクセスの困難さを解消するために、私が小学生の時に歩道橋も作られましたが、使い勝手が悪いために、結局ほとんどの住民が横断歩道を利用している状態で、アクセスの悪さは解消されていません。路線バスに乗るにも部落の反対側に行かなくてはならないため、少々歩いても道路を渡らなくてもよいバス停まで歩いて行っているのが現状です。

部落の中を通る道は整備されたとはいえ、大きな消防車や、救急車は部落を一周することは容易ではありません。道路幅が狭くて途中までしか入ってこれません。ですから消防自動車が入ってくれば、逃げ道はふさがれてしまいます。

子どものころは何も考えることなく生活していましたが、改めて見てみると、今もなお差別のなかでの生活を強いられている現状があります。

 

2 私が受けた部落差別の体験について

高校のとき友達と年末年始の郵便局のアルバイトをしました。アルバイトを初めて数日したころ、職員が、私の住所を確認してから「あそこは『杉本』部落って言うんだよな。」と言いました(杉本というのは私の旧姓です)。

当時の私は、例えば佐藤姓が多くても、「佐藤部落」とは言わないしな・・・。」そんな風に不思議に思っていました。当時の私はそれがどういうことを言っているのかわかりませんでした。その後、部落解放運動に参加するようになってから、このような発言が差別なんだということが分かりました。

私が就職活動で企業に面接に行ったときに、部落差別を身をもって体験します。市内や近隣のところでは、履歴書をみて必ず「谷保駅(最寄駅)からどっちのほうに住んでいるのか? 」 あの辺(谷保)はよく行ったから・・・」「インターチェンジの近くなの?」など、必ずと言ってよいほど聞かれます。そして、高い確率で「不採用」になります。

1998 年12月、国立市内のある企業に面接に行きました。面接官は冒頭に履歴書を見ながら、「今の履歴書には家族欄などがない。屠殺・皮革の仕事をしているとか、新平民とか言われる人たちがいて、差別されるっていうので家族欄がなくなった。なので、うちではロ頭で聞くことにしています。と言いながら、履歴書の余白にかかせます。

そして「ご主人の仕事はなんですか?」「谷保のどの辺ですか? 」「血液型はなんですか?」・・・と続きます。その都度「ここで仕事する上でいま答える必要がありますか」といって答えませんでした。面接が終わって「なにか質問はありますか?」 と言われたので、「冒頭に言われたことについてお聞きしたい。」といって質問しました。

この一言で何を質問されたのか分かったようです。面接官は急に「あれは例えで話したので・・・」「差別とかそういうことではないんです」「・・・」などと焦りだしました。私が「何の例えですか」「新平民とかいろいろ話されたのは『同和問題』のことですか。」と問うと「そうです」「国立にはないでしょうけど京都・大阪とか関西の・・・」と慌てて話します。私は「何がないんですか。同和地区(被差別部落)のことですか。」「私はその被差別部落の出身です。東京にもあります。国立にもあります。」「履歴書が今のような書式になった経緯なりちゃんと勉強して公平な面接をしてください。」と話してその企業を後にしました。面接日の日付で翌日不採用通知が届きました。

 

3  解放同盟における活動について

私は被差別部落出身であることを中学の時母から聞かされました。「解放奨学金」の受付の時です。その後、高校に入学してから子ども会や集会に参加するようになりました。同時に父が、支部長だということも知りました。1 999 年に父が他界してからは私が支部長を務めています。

しかし、私が解放同盟の支部の役員を務めていることは、当然ながら誰でもが知っていることではありません。現在も残る不当な部落差別のもとでは、部落差別のことをきちんと理解してもらえる人や、仕事などの関係でどうしても伝えておくことが必要な範囲の人に限って、情報をお伝えするようにしています。

 

4 「同和地区Wîki」 や「全国部落調査」 における記載について

今でも部落差別は厳然として残っています。むしろ、インターネットが広く利用されるようになった結果、部落差別をあおるような首動はより頻発するようになったと思います。

今回問題となっている「同和地区Wikij や「全国部落欄査」のホームページを見たとき、私は背筋が凍りました。これは跨張でも何でもありません。「部落解放同盟関係人物一覧」と題するページでは、私の名前に続けて東京都国立市内の地名が私の住所という体裁で記載され、続けて電話番号とされる番号も記載されています。また、私が解放問盟の支部長をしているとの記載や、「いじめを受けて育つ」だとか、勤務先とされる保育園の名称、私が保育士である旨の記載もあり、こんなことが広くインターネットで公開されていると思うと、ハラワタが煮え繰り返るような怒りとを覚えると同時に、この被害がどこまでも広がって行きかねないという戦慄を覚えます。

さらには、SNS (ソーシヤノレネットワーキングサーピス)であるフェイスプックやツイッターのアドレスという体裁での記載も付け加えられています。

言うまでもありませんが、私は住所や電話番号をインターネットで公開する趣味はありません。SNS のアドレスなどは、当然ながら知り合いにのみ開示するものです。解放同盟の役職についていることについても、信頼できる人にしか話をしていません。示現舎や宮部らが行っていることは本当に許せません。

示現舎や宮部らが行っていることは、私の家族はもとより兄弟・親戚、部落の地域全域にまで被害を及ぼす悪質な行為です。

私の家族は私が被差別部落出身であることは知っていますし、子どもたちは自覚していますから家族の間で何かトラブルが起きることはありません。そのような意味では心配していません。しかし、私の親戚のように「部落」を隠して結婚したり生活していることが多いのです。今も不当な差別に苦しみ、「いつバレるか・・・」という気持ちの中で生活しているのが現実です。

示現舎や宮部らが行っていることは部落差別をいよいよ煽り立てるものであって、許せません。これは、私のみならず全国の被差別部落に住む人たちに言えることです。

なお、私のfacebook に昨年秋に不審な投稿がありました。「職場まで電話するぞ」とか「仕事できなくしてやる」「プロックしてもコピーしたから無駄だ」 などという書き込みでした。

当時は「ネトウヨ(ネット右翼)みたいな人が来たな」と思う程度で、投稿を削除し相手をプロックしたらそのままになったのでその後特に何もしていないのですが、今回、示現舎や宮部らが行っていることを知って改めて考えてみると、示現舎や宮部らが行っていることに触発されての投稿であった可能性も大いにあると思っています。

このような思いをするのは、もう沢山です。裁判所が私たちの目常の生活を守る判断をしてくれることを切に望んでいます。

以 上