鳥取ループ裁判 第2回傍聴記

 

 

鳥取ループ@示現舎との裁判、第2回口頭弁論が9月26日、東京地裁で行われた。

今回も大法廷は満席。傍聴席は抽選となった。

 

第2回口頭弁論は、被告(宮部・三品)らの主張(準備書面)に対して、原告(解放同盟)からの反論の場であった。原告の準備書面(全37頁)の要点を、河村弁護士、山本弁護士がポイントをしぼり、口頭で陳述した。

 

はじめに、河村弁護士からは、彼らの準備書面(主張)についての反論以前に、①法的な議論になっていない点、②被告らが平然と事実に反する主張を行うこと(虚偽の主張)、③被告らの不誠実な態度について、厳しく指摘した。

 

★「原告適格なし」への反論!(法的議論になってない)

はじめに、河村弁護士からは、「定義なければ権利侵害なし」という主張への反論を行った。宮部らは、今回の裁判は、そもそも原告としての資格(原告適格)がないと主張している。 被差別部落出身(部落民)という「身分は法律上存在していないし、また社会学的にも学術的にも定義が定まっていない」、だから、原告が「被差別部落出身者であることはあり得ない」=「原告適格に欠く」と主張。 つまり、「定義なければ権利侵害なし」という勝手な理屈を展開している。

これに対して、河村弁護士からは、「被差別部落、部落民ということが法律的、学術的に定まっていない。だから部落差別、権利侵害が生じないというのは、法律論からして、まったくの誤りである」と指摘。

例えば、肌の色が黒い人に対して、その肌の色を侮蔑し、嘲笑する言葉を投げかけたら、それは人格権侵害などを構成することになる。「『黒人』というものの定義が法律的に定まっていない。だから、人格権侵害等は生じない。原告適格に欠く」というふざけた議論は、法律論としてはあり得ない。

「障害者」の法律上の定義が定まっていなくても、障害者に対してその障害を侮蔑する発言等をすれば、人格権侵害等を構成する。障害者差別解消法でも障害者の定義はない。障害者の定義がないから、障害者差別は発生しないなどという理屈は全く成り立つ余地がないと、指摘した。

 

そして、河村弁護士は、「今回の訴訟は、『被差別部落』等の定義をめぐって議論する場ではない。被告(宮部)らが行った『個人情報を晒す』『同和地区の所在地情報をネットや書籍で公開する』という悪質極まりない行為の違法性を問う場である」ということを改めて問うた。

 

虚偽の主張(裁判で平気でウソをつく)

被告らは、『復刻・全国部落調査』は、「そもそも存在していない」といいながら、自ら印刷製本した本を、横浜地裁相模原支部に、証拠書類として提出していた。事実に反する虚偽の主張をし、裁判所を欺そうとしていた。河村弁護士は、「絶対に許されない」と厳しく指摘した。

 

★不誠実な程度(差別されたら、自分でなんとかしろ)

被告らは、準備書面で「Yahoo!知恵袋」などで、被告らが情報を垂れ流している「全国部落調査」をもとに、恋愛・結婚相手の身元調査、不動産取引での土地差別調査に利用されている差別の現実に対して、 「そこでのやりとりが気にいらなければ、原告自らが質問・回答すればよいのである」と主張している。

 

部落・部落出身者を暴き、ネット上に晒し、被害があれば、自分でなんとかしろという主張。人の権利を侵害しておきながら、「その回復は、被害者がやれ」と。そのような被告らの主張・態度に対して、河村弁護士は「全く許されない!」と厳しく指弾した。

最後に、「精神的損害として一人100万円を要求しているが、あくまで一部請求であり、被害がどんどん拡大すれば、請求額は増えていくことを付け加えておく」と。

 

次に、山本弁護士からは、被告(宮部)らの「『復刻・全国部落調査』出版・ネット公開は問題ない」とする主張(16項目)などに対して、以下の反論をした。

 

①   部落の場所はこれまでも公開されてきたのだから、自分達の行為は問題ない」

宮部は、「部落の場所はこれまでの出版物等でも公開されてきた」と、明治時代(1897年)から現代(2003年)までの行政文書や部落史等の資料14点を証拠として提出。それらの書籍には同和地区の地名が書かれている。だから、自分たちの行為の何がいけないのかと主張している。

これらの主張に対して、山本弁護士は、「公開」は誤りであり、「出版物の性質等の違い」を無視した主張であるとの反論をおこなった。

宮部らが証拠提出した14点の書籍は、研究や調査等において、必要な限りで地区名を記載しているのであって、全国的に、網羅的に、地区名を取り上げた性質のものではない。被差別部落の地名を、「被差別部落はどこか」という観点から公衆に対して示したものではない。その意味で、被差別部落の場所を「公開」したとは言えない。

また、それらの出版物は、公衆の間に流通しているものではなく、図書館の閉架書庫で保管される、あるいは研究目的での閲覧しか出来ないようにされるなど、公衆はアクセスが難しく、現時点で「公開」されているものとはなっていない。

 

出版物によって、その記載に関連する人の人格権等に対する侵害が発生するか、あるいはその人格権等の侵害がどの程度であるかは、当該「出版物の性質」「頒布範囲の広狭」「頒布対象」「一般人のアクセス容易性」等の要素によって大きく異なる。

 

証拠として提出された書籍と、本件の出版物は、まったく性質が違う。「復刻・全国部落調査」は、サイトの宣伝通り、全国5300以上の部落名、住所、戸数、職業、生活程度の情報を「網羅的」に羅列し、「コンパクトに扱いやすく」「読みやすく」「現在の地名を掲載」されたものである。

 

本件の出版物は、被告自身が認めているように、全国の部落名をリストアップして、誰もが、自由に、部落に対する情報にアクセスしやすくするために出版物を作成したのであり、研究目的のためではない。

 

したがって、被告らの主張はまったく成り立たない。

 

②   隣保館等(同和事業で作られた施設)が、同和地区の目印になっている」

宮部は、隣保館は公共施設であり、所在地なども公開されている。その隣保館は「同和地区の目印」となっている。だから、自分たちも全国の部落地名公開をしても問題ない。

 

これに対して、弁護団からは、そもそも「同和地区の目印」と見る考え方自体が、差別的であり、隣保館の設置・運営目的の主旨に反する。また、隣保館や改良住宅等は、必ずしも被差別部落内にあるわけではない。事実としても間違えている。

しかし、被告らのように差別的意図を持って、これらの施設を「目印」とするような人がいることも否定できない。だからこそ、それらの情報の扱いには慎重になるべきであり、「同和地区の目印一覧」として公開するのは、差別的意図があるとして「悪質」と評価されるのは当然。施設の場所は利用者のために公開されるべきで性質のものである。

 

③「部落問題解決のために、表現の自由を制限する必然性はない」

表現の自由の講師は無制約に許されるわけではない。表現の自由の行使が、ときに個人の人権と正面から衝突し、その調整が必要になることは自明のこと。裁判所も当然ながら「あらゆる表現の自由が無制限に保障されているのではなく、他人の人格権を侵害する表現は、表現の自由の濫用であって、これを規制することを妨げない」という立場になっている。

表現の自由と部落問題の解決というテーマを対立するものととらえている点で枠組みとして失当。現実の社会に被差別部落に対する差別が厳然と残っていることを無視した立論。「部落の場所を明らかにするという前提」で解放運動が行われてきたという事実もない。誰もが誇りを持って、自然に、自らが望むときにカミングアウトできる状況が望ましいとしても、そのことと部落の所在地情報を公開して不特定多数に晒す行為、アウティングとは全くベクトルが逆である。

 

「部落に関する言論を意のままにしようとしている」

今回の訴訟は、被差別部落の地名の公表によって、実際に権利侵害を受けた原告らの救済が目的である。被告らは、自らの「表現の自由」だけを主張し、その「表現」によって差別を受け、権利侵害をうけることになる具体的な各人を見ていない。「差別、人権侵害をうけるかもしれないからやめてくれ」との被害者の訴えを、加害者が「部落に関する言論を意のままにしている」という主張自体がおかしい。

 

④「定義なければ差別なし」

最後に、山本弁護士からも、「定義なければ差別なし」の主張に対して、あらためて反論した。原告らは、「全国部落調査」の出版、ネット公開による権利侵害、違法性の有無の判断を求めて提訴している。定義いかんで法的責任の有無が判断されることにならない。

 

今回の第2回口頭陳述は、宮部の主張に対する反論であった。裁判終了後の、報告集会で弁護団からは、「そもそも宮部の主張自体が、今回の訴訟における法的な議論の対象にならないものばかり。その上で、あえて、彼の理論の上で、反論しなければいけなかったので、時間がかかった」と語られた。

 

次回の第3回裁判は、12月12日午後2時~。次は原告からの主張になるので、部落差別の現実、原告の生い立ちや思いなど、こちらの側から準備書面を提出することなる。

 

それまでに、私たちも、当事者の声や思いをしっかりと聞いて、訴えていきたい。